留年したくない

M-1グランプリ2018見ました。

もうすでに多くの方が感想等を書いているので、審査についてとか僕はもうどうでもいいのですが、恐らく誰も触れてないであろう気になった演出について駄文を書きたいと思います。

しかし、そのためには審査について多少触れざるを得ないことをご理解ください。

ご意見ご批評は一切受け付けません。

 

これは既に言われ尽くされてることだと思いますが、漫才の大会で必要なのは発想か技術か(両方であることは言わずもがな)という問題。

今年だと立川志らくかまいたちの漫才のコメントに「うますぎて凄いと感じてしまったのだが、魅力という部分に関して点数をつけることができなかった」という内容の審査をしていた。

立川志らくの点数を見ればトム・ブラウンやジャルジャルに高得点をあげてることからも、彼らが技術はもちろんあるにしろ、技術よりもまず発想の突飛さに目がいくネタで勝負する漫才を評価していることは分かる。

 

そしてこれは僕の個人的な趣味嗜好でしかないが、僕も正直なところ正統派の上手い賞レース向き漫才にはあまり関心がないし、今年の僕のM-1優勝は怪奇!YesどんぐりRPG一択なので、漫才を見せる技術なんてものはどうでもいい。一番ウケてるのが優勝。

 

しかし何故こんなにも上手く見せる技術に関心がないのか考えてみたところ、これはお笑いというものが発想力とその場の空気感から生まれる非常にアドリブ要素が大きいことに由来するような気がした。

 

矛盾するように聞こえるかもしれないが、僕は同じ大衆を相手にする娯楽として映画について考えた場合に、面白い脚本には関心がない。

面白い脚本という言い方はあまりにざっくりしすぎているが、要するに映画の構成だとか会話劇の面白さについて惹かれない。

何に興味があるかといえば、映画を撮るためにどこにカメラが置かれて何を見せようとしているか/見せないかという点でしかない。

つまり脚本を生かすための演出ということになる。

だから今年話題の某ワンカットコメディ映画についてもギャグ要素や構成に関してはどうでもいいし、むしろエンドロールに感動しているし、皆んなが大好きなバックトゥザ・フューチャーに関しても、ストーリーなんて単に「現在から過去に戻って両親の恋のキューピッドになって、現在に帰る話」としか思ってない。むしろ凄いのは普通の映画ならカットを割るところでロバート・ゼメギスが長回しで生々しく撮っていることに面白いと思ってる。

 

映画では企画そのものの発想よりも寧ろ映像としていかに撮るかという発想(演出力)を重視してしまうのは、お笑いと違っていかに観客のエモーションを掻き立てるかという違いがあるからというように思っている。

お笑いの「楽しい」というエモーションは何かを見ていて「つらい、嬉しい、悲しい、気持ちいい」というエモーションとは異なり、ある別の感情へ誘導されたのに突如全く違うことが起こって、感情の行き場がなくなり笑いになるという特性がある。

 

だからこそ、最初の話に戻るがお笑いというのはアドリブ要素があまりに大きいのであって、脚本があってなおかつ何度も見返せる映画のようなナマモノではないジャンルと相性が悪い。

もちろん映画の撮影中に俳優の機転で面白いアドリブの会話が生まれる可能性はあるものの、それは全体を緻密に計算して作った本来の脚本とは浮いてしまう危険性が常に孕む。

三◯幸喜やら福◯雄一がつまらねーのはそのことを理解した上で映像に反映してないから。

 

誤解のないように言っておくと、僕はコメディ映画は大好物でなんなら一番好きなジャンル。

しかし、それは会話の面白さよりも寧ろ映像の巧みな編集だったり、敬愛するカウリスマキ(コメディ作家ではないけど)なら絶妙な俳優の哀愁漂う無表情をカメラで執拗に映したあとに急速に御都合主義へ展開することによって笑えるのであって、やはり脚本よりも演出が圧倒的に大事なのだ。

 

話が逸れた。

M-1という舞台は、アドリブ要素が強いというお笑いの特徴があるにもかかわらずその漫才の技術的な上手さを競う点で明らかな矛盾がある。だからこそ、上手さを超越した立川志らくが言うところの魅力が必要。

僕が映画では演出を重視して、お笑いでは発想をどうしても重視してしまうのは、お笑いそのものが映画では扱いにくいジャンルであり、そのナマモノ性にこそお笑いは価値があるため、お笑いのネタでは上手く見せる演出よりもネタそのものの発想がかなり大きな割合を占めるからである。

 

長くなったがここからが本題。

アドリブ要素が強いお笑いにおいて、それでもなお漫才を面白くみせるためには漫才師の技術だけがあればいいのか?

テレビで放映されるM-1は漫才師の技術以外の要素が面白さを生むことは可能だし、面白さを損なわせることも可能であるはず。そしてそれはテレビマンの演出力に関係し、この演出次第で例え技巧派の上手い漫才でなかったとしても面白く映し出すことは可能になるように思う。

 

カメラを使えば痛いほど分かるのだが、カメラはあまりに生々しく現実を映し出しすぎる装置であり、特に面白いかそうでないかの二択でしかないお笑いをカメラで撮り、なおかつ編集の効かない生放送は本当に怖い。

 

それが如実に現れた瞬間がある。

かまいたちが漫才中に披露した客いじりである。客いじりという行為が賞レースのお笑いではある意味禁じ手であるというようなことは抜きにして、そこでのカメラの映し出した光景が恐ろしい。

かまいたちの客いじりのボケに対応して、カメラは舞台上のかまいたちと、彼らを見ている観客の背中を映し出す。

しかし、テレビでみている視聴者には背中越しに見る漫才の舞台はあまりに冷めたような印象を与えた(少なくとも僕はそう思った)。

何故こんな現象が起こるのかというと、舞台と客席の間には明らかな境界があるせいだ。

背中はもちろん感情が見えない(背中で語るなんて絶対ムリ)であり、客いじりをした後の観客が笑っていたとしてもシラけているような印象を視聴者に与えてしまう。

ではこの現象を克服するにはどうすればいいか。

僕の現在の知識では、漫才を見ている観客の顔(笑っていたり、顰めている)を映すしか思い浮かばない。

観客の顔はまさに舞台を見ている一番ナマモノの反応であり、舞台と客席の境界を破壊し、舞台と観客席で構成されるその空間全体のリアクションへと変えてくれるために、視聴者さえもその空間へと誘う(要するに印象操作ができる)。

ちなみに上戸彩の反応を映すのは単なる上戸彩サイドの意向を感じるのであまり好きではない。

しかし、ここでも矢張り気をつけるべき事項がある。

これは某産経系列のテレビ局がネタ特番でやりがちな、舞台の後ろにカメラを置いて観客とその前に立つ漫才師の後ろ姿を見せる演出である。

たしかに観客の顔の表情は見えるが、これは明らかに舞台袖から見ている芸人視点のカメラであり、面白いかどうかでしかない漫才の舞台で別のエモーションを掻き立ててしまうので、面白さを映し出すためには明らかに余計な演出であるとともに、突然視点が舞台袖へと変わるので誰に対して見せている映像か分からず、漫才に集中できない。

この演出が好きな人が意外と多くてかなり驚き。

 

漫才という舞台で漫才以外の要素が面白さに影響を与えることができるというのは芸人さんにとっては幸か不幸か分からないが、矢張りM-1という舞台はテレビの視聴者を相手にしたエンターテイメントであることを考えると、漫才を撮るのは難しく、いかに面白く漫才を映し出すか追求していくしかない。

大人の階段の〜ぼりすぎないで欲しい

今週の空気階段の踊り場。

水川かたまりの熱烈な愛の叫びと涙がとても良かった。

芸人のラジオだが、単に面白かったという表現だとかたまりの誠実さを台無しにしてしまう気がするので良かったと言いたい。

 

僕が21年も無駄に歳だけとってきてやっと分かったことの一つがお笑いと恋愛は相性が悪いということです。

 

これはバカリズムがANNG時代にも愚痴っていた表現が的確なので引用すると

 

「アーティストは歌ったあとそのまま女を抱けるのに、お笑いはネタをやった後とは一旦違う人の顔を装着しないと女を抱けない」

 

ということだ。

あまりにも鋭い指摘で、ラジオに日々ネタを投稿した(今は全然遅れてすらいないが)経験のある僕のようなタイプには痛いほどよく分かる。

ちなみにこの文脈におけるお笑いとは、(女性にモテるお笑いというのがあるのかは分からないが)例えばサラッと合コンの場において下ネタを混じえながら異性とコミュニケーションをとることのできるタイプのお笑いとは別であるという前提です。

 

まず第一にお笑いは、差別的な表現が避けられないように思う。KOCでのハナコについて「あったかい笑い」=「誰も傷つけない笑い」というようなコメントがSNSなどでされていたが、この所謂「あったかい笑い」の中にも例えばハナコが一本目のコントで披露した犬のネタは「犬」という人間と意思疎通が完璧には出来ない動物のある種の愚かに見える行動を愛おしい=「あったかい」と感じているため、絶対にどんなネタにおいても差別的な表現は含まれざるを得ないと僕は思う。

 

そうしたお笑いが持つ差別的な構造上、これが恋愛と結びつくとどうしても、恋するが故に我を見失う人物を神様的な視点で見守るテラスハウスや、ロンハーの恋愛ドッキリみたいな嫌な見せ方へと繋がってしまう。

 

これはバカリズムの「ネタをやった後とは違う顔をしないと女を抱けない」という指摘の通り、ネタで異性についてアプローチする場合にも当てはまる。

コントの中でもつれたりくっ付いたりを繰り返す恋愛を観客として、神様のような視点で舞台上で繰り広げられる茶番に付き合わなきゃならないのだから。

 

恋を笑いに変えるには、矢張り恋というある種の人を盲目にしてしまう厄介な存在に振り回される男と女を見せる必要性があり、そのためには我々観客を客観視させる絶対的な条件があるため、お笑いで恋にアプローチするのは一度本来の自分とは別人を演じることで自分を棚に上げて自分自身の「恥」を避けるという余計なワンクッションが必要だと思う。

 

直接自分が自分のままお笑いから恋にアプローチする方法としては、自ら「恥」を捨てて恋における経験談や、下ネタ、男女間の違いを語るなど散々やりつくされたネタを通るのみである。

 

空気階段がラジオでみせたお笑いからの恋へのアプローチは一見後者の実体験に基づく直接的な「恥」を捨てた表現であるようにみえるが、実はそれだけでないように思う。

 

昨日の水川かたまりはあまりに赤裸々な愛を吐露していた。

バイト中に店内に流れたSuperflyの「愛を込めて花束を」を聴きながらトイレから出られないというエピソードや、夜中に一緒に散歩したというエピソード、「熟女好きだった自分が初めて年下を好きになれた」というエピソードなど、どれもこれもリアルなロマンチック以外の何物でもない。

 

最後には自ら放送中に涙を流して泣いてしまうという動きまで含めて、水川かたまりは自分自身をあのラジオブース内で最も身ぐるみ剥がされた状況となり、お笑いの持つ差別性を受け入れてはいるのだが、「本当に好きだったから茶化さないで」という叫びは、かたまりの根っこの「恥」と結びついていて、最後までかたまりは自分自身の「恥」を捨てたわけではない。

寧ろ「恥」を捨てて茶化されることを受け入れてしまっていては、かたまりは自分自身に「そんな自分になってはいけない」という自意識に今後もずっと苛まれていると思う。

芸人として失恋した現状を面白く変えたい葛藤と、人間として好きな女の人との記憶を茶化してはいけないという倫理観の葛藤の狭間で動いていた瞬間がなんともドキュメントであり、「恥」を捨てないが故に自分を束縛する葛藤から解放されて最後の愛の告白へと辿り着いたのだと思う。

 

詩的な表現をあえてすると、かたまりはラジオのマイクの前でかたまり自身にとって恐らくあの瞬間一番恥ずかしかったであろう「失恋」という「恥」を捨て去るのではなく、寧ろそれによって自分自身を支えること=水川かたまりという本名とは別の姿である芸人というキャラクターと繋がった。

 

だからこそ最後の愛の告白で「(元彼女を失って自分自身を見つめ直した結果として)僕はもう1人でも大丈夫です」という言葉が出たように聞こえた。

 

空気階段のラジオは普段とラジオで顔を使い分けているような我々リスナーに、自分が自分として別の何かを演じる笑いを届ける手法を見出してくれた神回だったと僕は思う。

笑いで恋にアプローチする方法は模索すれば見つかるのかもしれないという勇気と希望が伝わる。

寝る前にもう一度神回を味わいたい。

そして、再来週の放送で水川かたまりの報告が良いものでも悪いものでも聞けるのを待っている。

それを好きと言っていいものかわからない

ずっと更新が滞っていた。最近はフィルマークスを除いてSNSを見る機会が減った。

SNSは次々と言葉を使わせようとしないコミュニケーションツールになっている中でフィルマークスは、一般的には映画の感想を書き連ねるツールだが、僕や友人は最早見た映画とは関係ないことも適当に書き連ねたり(どこのカレー屋が美味いみたいな)、たまにマジで長文の感想を書けたりするのがとても読んでいても楽しいSNSで結果的に今一番使用頻度が高い。

更に人のレビューに対していちいちTwitterのような近い距離感がなく、本当に希にコメントが来るという頻度も心地が良い。

 

夏からずっと大学での映画の撮影準備に追われていて、今週遂に撮影開始というバタバタもあり、かなり世間と生活リズムのズレが生じているのだが、相変わらずインプットモンスターとしてテレビは基本家にいる間はずっと付けて観れるし、バイト中はAmazonプライム・ビデオに新たに加わった東映のジャンクフィルムでピンク映画をひたすら見漁って社員さんから変な目で見られているし、演劇も頻度は変わらずたま〜に観に行ったり漫画も通学中によく読めている。

結局昔からの習慣は仕事や勉強の忙しさとは変わらず続くのかと思うと安心する。

 

ポップカルチャーに触れてる間は頭は頑張って働かせてはいるが、最悪何も考えずに見終えてさえしまえば謎の達成感があって教養を得た気になれるので僕みたいな、大学の授業にも興味がなければ基本出席しないという堕落した生徒にはオススメです。

 

前置きが長くなった。

以前サブカル野郎が嫌いという僕のただの私的な恨みやほとんど偏見みたいな考え方を述べたが、僕はどうやらオタクというのが苦手だ。

 

ゲームやアイドルの世界に限らず何かに取り憑かれてるような人が要するに苦手だ。

お前だって「バナナマンやらラジオやら映画やら言ってんじゃねーか」と指摘する方もいると思うが、僕はオタクではない。

 

例えば映画でいうと、映画狂はシネフィルと呼ばれるが、僕はシネフィルと呼ばれる人を好きになれない。

彼らの第一声は決まって「最近何観た?」だ。これは偏見ではなく、本当にそう。

 

彼らは家に帰るまでが遠足という小学校教師みたいに「映画を観て人に言いふらすまでが鑑賞」だと信じているフシがある。

はっきり言って迷惑だ。基本的に僕は映画を見る時に思っているのはウケるかどうかでしかない。本当はもっと考えていることもあるが、基本はウケるかつまんねーと感じるかです。

そんな僕が迂闊にシネフィルどもの前で最近見た映画は「若おかみは小学生!」と答えたらきっと鼻で笑われるのは目に見えている。

頭ごなしに見る映画のチョイスを否定されたらそれは最早ハラスメントです。

 

何においてもまず自分の持ち合わせてる知識の話から始める奴はいくら作品に触れていようが、世界が狭すぎてウザイ。ウケません。

あと、僕は芸術映画よりもまず大衆映画が好きだし、片っ端からアニメだろうが見るタイプで、ポケモンの映画はマジで面白いと思ってる。今一番見たい映画を聞かれたら「プーさん」と答えます。

 

ただ、僕は決してオタクにはならないが、オタクどもの知識量には負けたくないという持ち前の面倒くささがあるというだけです。

 

ラジオも同じで、毎日ラジオを聴いてTwitterみたいな同じ趣味嗜好を持つ者同士の集う世界には入りたくないんです。

東京にいると恐らく地方よりも明らかに強く感じることとして「自分の関心の中心地にいる」という集団(実際には繋がってないネット上の世界だとしても)の意識があるように思う。

そもそも集団が嫌な奴らの逃げ場であるはずであったTwitterが逆にそうした別のサークルを生み出しているのは皮肉です。

 

ラジオはパーソナリティが直接リスナーに語りかけるという構造上身近に感じやすく、そこに救いを求めて生きる人は分からなくもないが、ネットとラジオが結びつける世界は実はかなり狭いコミュニティという事実があるのを見逃したくない。

 

こうした面倒臭い発想の元で生きてきてしまったせいで、僕は素直になにかを「好き」と言うことができないと言うジレンマを抱えてしまった。

 

オタクは嫌いと散々述べてきて今更だが、「本当に好きなのかどうか」とか「それを自分が好きと言ってしまっていいのだろうか」という疑問を抱えずにいられるオタクに対して羨ましい気持ちがあるのかも知れない。

 

カルチャーとかに限らず例えば僕に気になる女性がいても「あー、多分俺の思う好きは普通の人の好きと比べたら間違いなくレベル低いだろうな」と思ってしまうため、別の好きになれそうなものへと即座に関心対象を変えてしまっていることを先日撮影準備の合間に班の人に指摘されて「ヤバイのかもしれない」と気がついた。

 

久しぶりの更新で僕のメンタル葛藤記を書いてしまい申し訳ありません。

あ、14日の阿佐ヶ谷の上映会来てくださーい。

 

bananaman live one-half rhapsody

8月5日バナナマンライブ2018「one-half  rhapsody」千秋楽鑑賞。

 

オールタイムベストのライブだった。

僕は本来お笑いを観る場合笑えるかそうじゃないかの二択でしか見れなかったのだが、バナナマンのコントを観る度にその考え方を改めさせられる。

 

僕がいつもバナナマンを褒めるときに困るのは、笑えるかどうかの二択だけではおさまらないせいだ。

なので簡単なレビューをこれから書くけど、僕の観ていて嬉しかった箇所は多分笑えるポイントとはズレてしまってると思う。

 

ーーーーーー以下ネタバレーーーーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「GAME of which」

 

最後に一万円を要求するシーンで日村さんがゴリラのモノマネをして誤魔化すのが良かった。

 

僕はバナナマンのコントを見ていると、コントの中の設楽と日村という2人の親友が何で繋がっているのかを考えてしまうのだけど、居酒屋に行くとかゴルフに行くみたいな大人の楽しみ方をしているわけではなくて何処かのベンチに座ってスマホゲームで繋がっている距離感が良い。

そしてすぐに「お金をかける」なんて中学生みたいなことを言い出してはみるものの、実際にはお金を払わないでも許される対等の距離感。

 

「Bitching」

 

子供は好きだが夫婦間はうまくいかない夫と外部のアホな青年設楽。

コントではアホの役割が普段と逆になるバナナマンが良いです。

劇中で日村さんが話す家庭の愚痴はバナナ炎やバナナムーンで話していた設楽さんやオークラさんの実体験が元になっていた。

このコントによって人間関係に亀裂を生じさせるのはお金であり、その亀裂を修復するのはセックスであるという生々しい現実を夫婦間の外部である設楽のアホだが鋭い指摘とそれに伴う笑いによって証明させた。

 

ちなみにこのコントでは日村さんの赤ちゃんの名前が「君香ちゃん」だった。

いつか君香ちゃんがバナナマンライブを見に来る日を想像してニヤニヤした。

 

 

「大村なつお」

 

ベテラン歌手大村なつおは見えない誰か(マネージャーと思われる人)の行動に注意しているが、叱っているときに言い間違いをしてしまう。するとヒゲメガネ姿の男がどこからか舞台上に現れて大村なつおの言い間違いが恥ずかしいことを指摘する。

 

おそらくラジオのメールテーマで募集した「それ、カッコいいのか?」から派生したコント。

 

普通二人組のコントなら言い間違えて怒る人とそれを指摘できない部下の設定でネタを作るのが一番分かりやすいと思うのだけど、このコントは上述した通り設定が一筋縄ではいかない。

何故こんなに複雑で、そもそもヒゲメガネは何者なんだ?

大村なつおは実際は舞台上に存在しないマネージャーに向かって叱っているけど、そのマネージャーよりも、言い間違えた時だけ舞台上にフラフラと現れて去って行くヒゲメガネの方がむしろ幽霊的に思える。

実際舞台上には見えないが、物語上マネージャーの男はヒゲメガネが現れると眠ってしまっていて、ヒゲメガネの存在に気がつかず、大村なつお以外の人間はヒゲメガネとディスコミュニケーションになることからも、ヒゲメガネの男は本当に幽霊なんじゃないかと思った。

 

そして最後に大村なつおは芸能生活40周年記念ソング「田舎のYouTuber」の歌が間違ってないか確認するために遂に自らヒゲメガネの男を呼び出そうとするが、中々現れない。

やっと現れたと思ったら最初、ヒゲメガネは大村なつおに一切構わず舞台を横断する。

観念した大村なつおは無理矢理舞台袖にはけたヒゲメガネを連れ出し、歌を聴かせて評価を求めると、ヒゲメガネに「わかりません!」と跳ね返されてしまう。

しかし、ここでヒゲメガネは今後売れるかどうか確実ではない音楽の方向性についてイエスもノーも言わないが、コントで歌われる曲を聴けば「田舎のYouTuber」が明らかに迷走していることは誰もが承知なので、きっとこの曲は現時点では「間違い」であり、故に舞台上にヒゲメガネの男は一応現れることができたと見るのが妥当か。

となると、ヒゲメガネは今現在の「間違い」によって舞台上に現れて、未来の「正しいか間違ってるか」については判断ができないという見方ができる気がする。

生きる上で避けられない「間違える」行為は現時点では恥ずかしいことでも、未来から見つめ直すと笑い話にもなり得るという発想は1つ目のネタで設楽さんが口にしていた通りだし、今時点の「間違い」は未来の「正しい」に繋がる可能性を秘めている。

 

2つ目のコントが「お金」によって人間関係が壊れるものだとしたら、このコントは「間違い」によって人は存在できることを示した。

 

そのことは、見えないマネージャーは不手際な仕事という「間違い」によって大村なつおに叱りを受け、その叱りの言葉によって舞台上に存在できるし、ヒゲメガネの男は大村なつおの「言い間違い」や「方向性の間違い」によって舞台上に現れることができたことからも明らか。

2つ目のコントに立ち返ってみても、一度は夫婦の喧嘩によって崩壊しかけた関係も奥さんの妊娠という唐突な「出来ちゃった」的なある意味「間違い」とも捉えられる出来事によって夫婦間は改善されるし、新たに子供が存在した。

 

この「間違い」が人を生むという行為の証明のためにもこのコントはマネージャーと歌手の関係性ではなく、歌手とヒゲメガネの関係を生む必要があったのかもしれない。

 

「cocky TODA」

 

今回唯一のサラリーマンコント。

題名にもなってる戸田という生意気な部下は一切このコントに登場しない。

ゴドーを待ちながら」かと思った。

そしてこのコントで今回のライブが「不在」で一貫していることに確信を持った。

(1つ目のコントの不在は「転校を繰り返して同じ学校にいられなかった男」2つ目のコントの不在は「奥さんから逃げて家にいない男」、3つ目のコントの不在は「マネージャー」)

 

ちなみに今回のライブで一番設楽さんのSっ気が発揮されていたのも見所だけど、そこで用いられる小道具がそのシーン限りではなくて後々生かされることからもバナナマンの他愛もない世間話の延長線上みたいな会話劇が計算されてることが分かって惚れ惚れしました。

 

バナナマンライブの定番コント「赤えんぴつ」が今回無かったのも影響しているのか、設楽統がかなり飛ばしてくれているし、かつての「killing time」のワンシーンがまた観れてテンション上がりました。

 

「snitching at the PIANO」

 

 

ここへ来て突然の短編。ネタの入り方は完全にバナナマンの初期の「DANCE&STOP」だった。

この馬鹿馬鹿しいルールのスポーツ(今回はピアノ)コント見たのは久しぶりだったけど未だに古くささは無いし、新鮮味すらあるのは凄い。

 

ちなみにこのコントでも、ピアノを弾きながら審判にバレないようにお菓子を盗み食いするという行為が「見られないこと」=審判の視線の先の「不在」と繋がる。

 

「one-half  rhapsody」

 

ライブタイトルと同タイトルのコント。

そして日村さんの一人三役。

 

舞台中央に置かれた台を軸に右側の現在と左側の過去(中学時代)に舞台は分割される。

舞台を矢印で示すとしたら

→の方向で過去から今そして未来に向かっている。

 

役者として上京したものの、うだつの上がらない生活をしている設楽が田舎から遊びに来たヒムッキョに見栄を張るためにバイト先のオーナーの家を自宅と嘘ついて招き入れる。

 

懐かしい世間話の流れから中学時代にいたヒロイン「サクラちゃん」に送られた名前を書き忘れたラブレターの話題になる。

 

このコントでキーとなるこの名前のないラブレターが個人的な思い出と重なりすぎてズシンと来たのだが、恥ずかしいので省略します。

 

このコントは「嘘が現実にならない」という超現実的すぎる切なさをバナナマン持ち前の超ご都合主義によって前向きな結末に変えてくれた。

 

ラブレターを本当は送ってないヒムッキョは周りにおだてられてサクラちゃんに本気で片思いをするけど、両思いにはなれない。

嘘をついて居座ったバイト先のオーナーの家はあっさりとヒムッキョにバレてしまう。

 

例外として、嘘つきの同級生バレタが設楽に言った「サクラちゃんはお前と花火大会に行きたがってる」という話は正確には嘘ではあるが、サクラちゃんは本当は設楽が好きだという事実があったので実現できた。

 

徹底してバナナマンは100%のハッピーエンドを用意してくれない。

しかしここからが一気に加速する。

学生時代の花火大会以降ずっと付き合っていた設楽とサクラちゃんだが、一度愛想をつかして設楽から離れる。

その後しっかりとフラれるために電話をしたはずの設楽と再びよりを戻して結婚を決めるという超ドタバタな展開とご都合主義によって元の関係に落ち着くどころか一歩先の関係性に繋がって、ヒムッキョも納得して祝福してフィナーレ。

 

この超ご都合主義的なラストは「嘘は現実にならない」という悲しい事実を告発すると共に、別の形で「こうなってほしい」という誰もが納得できる理想の未来へと繋げてくれた。

フィクションはあくまでもフィクションだからこそ、ある部分は現実的じゃなくても理想を求めるべき。

 

そして設楽とサクラちゃんが結ばれることは設楽が舞台において→の方向=未来の方向へとハケた瞬間から定まっていた。

幸せなフィナーレをありがとう。

 

言うまでもないがラストのコントにおける

「金によって壊れた人間関係」は設楽とサクラちゃんだし、「間違いによって生まれる人」とは嘘つきの同級生バレタやラブレター事件でサクラちゃんに片思いしたヒムッキョ。

「不在」とはコントで名前が出るものの実際に舞台上には現れないサクラちゃん。

流石このライブのラストなだけあってこれまでのコントで見せてきたものが全て集約されている。

 

バナナマンのコントは笑いの枠の中と外を行き来しながら確かな幸福をもたらす。

 

今年も笑顔でサラバができました。

ありがとうございます。 

 

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たったさっきから完結までの話

7月22日、チャットモンチーが完結しました。

 

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6月1日(金)Mステ。

新曲「たったさっきから3000年までの話」「シャングリラ」のメドレー。

途中差し込まれた高校生のダンス踊ってる映像に辟易して、そんなのやるくらいなら「シャングリラ」をフルで歌わせてくれよとかドラムセットに座ったOKAMOTO'Sのレイジが一見誰が誰だかさっぱり分からず「なんだこの出たがりは!」とか少し思いつつ、新曲の「たったさっきから3000年までの話」は打ちこみで一切ギターを鳴らさないスタイルに「うわ、また突き放された」と一瞬どういう対応するかテレビの前でキョドッた。

散々事前の煽りVTRでギター鳴らしてたくせに、打ちこみの姿をファン以外(そもそもファンでさえ多くが打ちこみスタイルに関しては初体験)の視聴者が大半のテレビで初披露する度胸とリスナーの突き放し方に進化を見て、コレで完結する実感が全く湧かなかった。

終わるにしては余りに実験が過ぎるし、そしてその実験の結果も良いと認めざるを得ない。

次々と3人体制から2人体制、サポート体制、そしてメカットモンチーと変身を続けるたびにベストを更新してるから、野暮なことは承知でまだ続けてくれなんて思ってた。

 

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6月1日(金)宮藤官九郎のANNG

 Mステ終わり直後に放送された910ANNGのゲスト出演。

チャットモンチーと一緒に作詞講座と題打って「キラキラ映画のテーマソングにありそうな歌詞」を募集。

急遽出演をTwitterで知った僕は一度も投稿したことのない作詞講座のコーナーに関わらずやたらめったらに大量投稿。

普段の芸人の深夜ラジオに投稿してる時とは打って変わって大真面目な文章。

人を罵る文章や頭をバカにして書きなぐる奇文と頭の使い方が違いすぎて終始よく分からずに文章をフリック入力したら、生まれてチャットモンチーの2人に名前を読んでもらえた上に正式に歌詞として採用してもらうサービスを味わって久しぶりに投稿の魅力にどっぷり浸かった。

さっきまで日本国民の大半が知る恐らく一番知名度の高いであろう音楽番組でトリを務めてた大好きなアーティストに名前を連続して呼ばれるのはラジオの密室じゃないと不可能であって、一方通行のコミュニケーションで遠い世界(事実そうなんだけど)のテレビの住人と突然コミュニケーション手段を得て双方向性の会話ができてしまうラジオとの距離感に戸惑った。

 

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6月25日(月)チャットモンチー「誕生会」ラストライブハウス@Shibuya WWWX

 

最期のアルバム「誕生」のリリースに先駆けて行われたリリースイベント「誕生会」。

「びろうど」を除く「誕生」収録曲を演奏。

ライブハウスのリリースイベントということもありかなりアットホームな環境。

ロッキン以来の出演(本当はコヤブソニックがある)であり、かなり客前での演奏が久しぶりというえっちゃんの体感時間の流れ方に対する「なに、私はみんなと時間の流れが違いますみたいな態度」というあっこのツッコミはとても切れてて滅茶苦茶笑った。

そんな終始和やかな雰囲気だったからか、普段はMCでも然程語らない2人がいつも以上に饒舌に(恐らくリリースに先駆けて各メディアでインタビューを受けたことも影響してたのだろうけど)暴露話とも取れるエピソードトークをしていたのは貴重な時間だった。(テレビが本当に嫌!/デビュー当時尖り散らしててまともに「ありがとうございます」を言ってなかったetc)

いつも以上に饒舌に言葉で語ろうとする姿が余計に途中えっちゃんが漏らした「こんな機会もあと少ないと思うとね・・・」というどうしようもない現実がチラついて、少しでも寂しさのギアを入れたら楽しい空間がオセロみたいにひっくり返ってしまいそうな危うさと戦いながら至近距離で彼女たちの言葉を拾い漁った。

そんな雰囲気の中でえっちゃんが「くみこんが書いてくれた曲をやります」と言って「砂鉄」を歌った瞬間にはライブハウス特有の集中力が一点に集まって静かな爆発が起こる気配を感じた。

MCの時の親しみやすい方言と舌足らずな声とは違う重量感溢れる演奏とのギャップには一生慣れることなく片思いする。

先日のNHKのラジオで「簡単に一緒に演奏出来るような生半可な覚悟でバンドやめてない」という高橋久美子の発言があったが、そんな彼女がチャットモンチーという昔時間を過ごしたホームに作詞家として歌詞を提供して、それにチャットモンチーとしてホームを高橋久美子の脱退後も豊かにしてきた橋本絵莉子がメロディをつけるという理想的な再会が曲として反映されているのには涙無くしては聴けなかった。

シークレットゲストのBase Ball Bear小出祐介との同期のトークの後に「恋の煙(同期ver)」を披露して終演。

ステージをはける時えっちゃんが言った「またね」があと何回聞けるのかと思うと嬉しさの中にしんみりした気持ちが洗濯機に入れた服みたいに、何もかもぐるんぐるん混ざり合った。

 

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7月4日(水)チャットモンチーLAST ONE-MAN LIVE @日本武道館

 

第1幕は「びろうど」を除く「誕生」収録曲にアコースティックで奏でる「惚たる蛍」、福岡晃子がドラマを叩く「染まるよ」を加えた構成。後者の二曲も共に武道館のためにアレンジされて披露されており、「デビューした頃の曲やるね」とは言ったもののチャットモンチーは完結を決めた現在も過去と同じスタイルに固執することなく新しい可能性を徹底して追求していた。その態度に反映された「染まるよ」の福岡のドラムは鬼気迫る迫力があり、切ない情緒的な歌詞とそれまでライブで披露されてきた演奏とは明らかに切り離されたようなある意味怒り狂ってるようにさえ見える叩き方にはその日、一番度肝を抜かれた。

 

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幕間にはこれまでの軌跡を辿ったヒステリー映像が「ツマサキ」「雲走る」「草原に立つ二本の木のように」「満月に吠えろ」「歩くオブジェ」のBGMと共に紹介された。

メンバーの舞台裏の様子は今も昔も部活動の延長線上にあるような美しさがある。

高橋久美子の脱退もチャットモンチーの完結でさえも彼女たちの関係性そのものには何も影響を与えないし、チャットモンチーを辞めることはあくまでも音楽に向き合ってのみの潔い決断であることが心強い。

僕がチャットモンチーをどうしても青春と感じてしまうのは、自分が学生時代に貪欲に吸収したとか、青春っぽい内容の歌詞に共鳴するからというよりも彼女たちの関係性には部活動的な堅苦しい義務感を連帯で背負ってる熱意によって成り立つ部分に惹かれるからだとようやく気がついた。

 

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第二幕。指揮棒を振りかざす福岡晃子の合図にチャットモンチーアンサンブル(橋本絵莉子命名)のmajority bluseの演奏が始まる。

その後「ウィークエンドのまぼろし」からの西加奈子作詞の「例えば、」をえっちゃんのアコギで一緒に聴けたのはかなり意外(ラストのワンマンライブでチャットモンチー以外の人の作詞曲が聴けるとは思ってなかった)と同時に単純にこの曲のファンとして嬉しかった。

更にこのストリング・アレンジをしたのが乙女団の世武裕子だと明かされてカメラで抜かれた上に、新たなドラムセットに男陣のメンバーであり、ハイスタの恒岡章がサポートドラムで登場して、「東京ハチミツオーケストラ」をチャットモンチーアンサンブルと一緒に演奏した瞬間、徳島の田舎から出てきて東京の忙しない街並みに圧倒されながらも、簡単に帰れない覚悟を決めたであろう当時のチャットモンチーと、最後の武道館ライブでのスケールのデカすぎる演出との差を想像したら目眩がした。

最後のワンマンライブ と言いながらも過去にチャットモンチーとして関わったアーティストや詩人(小説家)の存在を浮き上がらせつつ、更に新たなバンド形態として過去のヒストリーに単に固執することなく今現在の武道館仕様のアレンジを加えて見せてくれた。

その後の「さよならGood bye」「どなる、でんわ、どしゃぶり」「Last Love Letter」「真夜中遊園地」(全て3ピースバンド時代の曲)はチャットモンチー恒岡章の3人編成で演奏された。最後を感じさせるタイトルの曲が多く演奏されたことからも、この武道館のライブが事実上彼女たちにとって観客との別れの挨拶となる舞台であることが予告されていた。

そして二幕のラストで演奏された「ハナノユメ」では再びチャットモンチーアンサンブルが加わって披露され、観客とのコール&レスポンスによってチャットモンチーとしての最新形態が完成した。


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アンコールで演奏されたのは高橋久美子作詞の名曲「シャングリラ」「風吹けば恋」「サラバ青春」。

武道館ではくみこんのドラム姿を再び見ることは叶わなかったが、恒岡章の完璧な高橋久美子のドラムアレンジのコピー(後日のNHKラジオに出演した高橋久美子によると、恒岡章は「高橋のドラムアレンジが気に入ったから完コピした」と言っていたらしい←泣ける)とワンマンライブの結びを高橋久美子の曲で締めたことはえっちゃんとあっこなりの観客へのアンサーに思えた。

「シャングリラ」のサビの手前加えられた

 

〈なっが〜〜い、なが〜〜い、なっが〜い、ながーーい、なが〜〜〜〜い目で見てよ〉

 

というアレンジはファンとして、いつかもしかしたら再び2人でやってくれるんじゃないかと深読みしてしまうような呼びかけに聴こえた。

「風吹けば恋」はチャットモンチーの好きな曲ベスト3に入るほど好きなので、言わずもがなこの曲を聴けただけで満足できるだけの感動したし、ライブも1日を通して盛り上がりが最高潮に達する。

「風吹けば恋」を終えて恒岡章が舞台袖にハケるとチャットモンチーはステージの前方に腰掛けて最後の MC。

「ずっとなんか変な感じ」と1幕の MCで語っていたが、この最後の MCでその「なんか変な感じ」の正体が少し具体的に見えた気がした。

メンバーを含めまだ誰もしっかりとした実感のなかったチャットモンチーの完結という事実が確実に近づいていることが現実味を帯びて襲ってきたこと。そして皮肉にも完結があるからこそ、「誕生」での打ち込みスタイルに留まらず、この武道館で挑戦した素晴らしいまでの新たなパフォーマンスが生まれたこと。

チャットモンチーは自分たちにもファンに対しても依存することなく常にそれまでのスタイルを突き放して捨てることで変身が誕生してきた事実。

そして彼女たちの技術が巧みであるが故に早すぎるペースで挑戦領域が彼女たちにとって狭まっていってしまったこと。

完結するためにそれまでは否定的ですらあったストリングススタイルにも挑戦することで、完結のために意図したこともそうでないことも含めて「やりきる」覚悟を目の当たりにした。

以前アルバム「告白」のツアーの記録をまとめた「3人の居所」ではツアー中の観客の反応を見て、ファンはバンドを写す鏡というけど、親しみを持たれすぎるのか何でもかんでもはしゃいでいる姿が目立つ。それは多分自分たちに問題があって今後鏡を磨いていかなきゃいけないというようなことをインタビューで答えていた。

当時はチャットモンチーが自虐で言う通り「尖り散らしてた」こともあるのだろうけど、この日に武道館でファンから送られた声援にえっちゃんが「チャットのファンは面白くて優しい人が多いな。ファンはバンドを写す鏡ってゆうやん。だからそういうことなんかなって思って」と答え、あっこが「鏡っていうだけあって、よくここまでついて来たな〜。みんな根性あるわ」と呼びかけた姿には、会場にいた人全てが肯定的な感謝に感激し、涙を流してた。

「最後の曲、歌えなくなってしまうかもしれんからみんな一緒に歌ってな。歌詞は(モニターに)出すから」とユーモア交えつつ「サラバ青春」が福岡のピアノ伴奏で始まった。

〈思い出なんていらないって つっぱってみたけれど、いつだって過去には勝てやしない、あの頃が大好きで、思い出し笑いも大好きで〉

の歌詞を武道館全員で涙チョチョ切れながら歌った。

チャットモンチーはデビュー当初からこの名曲によって、過去の姿には勝てないという誰もが隠し通す痛々しい現実を歌っていた凄さと彼女たち自身も事実「チャットモンチー」の名前に苦められることを予見していた皮肉と、そして名前を一旦おろすことで遂に過去から解放されることを祝福したい気持ちが募りすぎて「一緒に歌ってな」という要望にもうまく応えられないまま、啜り泣きながら下手くそな歌を歌った。

最後にみんなで歌い終えて再び舞台でチャットモンチーがお互いに手を繋いで360度観客の方向を向いてお辞儀する姿は美しくて微笑ましかった。


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7月21日(土)/22日(日)チャットモンチーの徳島こなそんそんフェス2018〜みな、おいでなしてよ!〜@アスティとくしま

 

朝4時に起床して徳島駅に着いたのは11時50分。初めてたどり着いた四国・徳島駅チャットモンチーのTシャツを着た人で溢れていて、駅から会場までのタクシーでは運転手のおじさんには何も言わずとも「チャットモンチー見に来たん?」て声かけられて、地元とはいえ此処までチャットモンチーが共通言語となっている格好良さに誇らしく思った。

 

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 MCはチャットモンチー大阪支部のドラマーコヤビンこと小籔千豊


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1組目はチャットモンチーの同じ事務所で且つ同年代のシュノーケル。

活動休止の後に復活してこなそんフェスに出演。チャットモンチーもシュノーケルみたいにならないかな〜〜とか武道館で完結を納得したはずなのに今だに野暮な考えが頭に浮かんだ。


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2組目のyonigeは初めて見たけど、本人たちは僕と年齢が近い20代前半で、チャットモンチーの養分を学生時代に吸収して育ったと語っていて、同世代で会場にいた観客を「マイメンやな」と呼んでたのが親しめた。

 

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3組目は初の芸人枠で野性爆弾ガリットチュウ福島。

フェスに芸人枠として一番にこの面子をぶつけるのはチャットモンチー頭おかしいと思ってたけど、流石くっきー。フェス関係なしに通常運転というか暴走運転。

ずっと自分で舐めた指を福島の口の中に差し込む奇行は放送禁止用語で表現するのが一番適切。


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4組目はチャットモンチーの同期Base Ball Bear。僕はベボベは全く通ってないからよく知らないのだけど、小出祐介が「こなそん前日まで、電車に乗りながら明日どう(いう気持ちに)なるのかなーて思って結局ずっとわかんないまま、今日会場に来たらそういうことじゃないと思って。出演者にチャットモンチーからメッセージが書かれた紙があって『泣かないで』て書いてあったので、これで泣いたらこんなにみっともない事無いなと思います。」と話したエピソードはなんとも同期らしい考え方だと思ったし、「誕生会」にゲスト出演したときに「下北沢で泥水啜って下積みしてたのにチャットモンチーは田舎から出てきてチヤホヤされてるのが気に食わなかった」と皮肉たっぷりに話していたのを知ってるから、グッとくるものがあった。

そして小出祐介が MCで言った「今3ピースバンドがやっと板に付いて楽しくなってきたので、続けることに意味があるなと思いました。だから元スリーピースバンドの先輩のチャットモンチーに俺たちは絶対に辞めねーからなという気持ちを込めてデビュー曲と3人になっても続けることを決めた曲を2曲続けてやります」と言ったのはその日一番の名 MCだったと思う。


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5組目。南海キャンディーズ

番組を共演したことをきっかけに静ちゃんと仲良くなったという福岡晃子から控え室に静ちゃんとの仲睦まじいメッセージが書かれた紙が置いてたことに対して、そのことを何も知らない山ちゃんが困惑。フェスで売られていたすだちも喉を通らないとラサール石井が言うところの一つも外さないツッコミが冴え渡っていた。

前回の芸人枠のくっきーがどうかしすぎていたので南海キャンディーズはかなり安心して周りの観客も楽しんでいたのだが、漫才でテラスハウスのネタを披露した時に山ちゃんのテラハ住人への妬み嫉みの悪口だけはハッキリと笑う人とそうでなく嫌悪感を抱く人で分かれていた光景が僕は一番面白いと思った。


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6組目。初日前半ラストEGO-WRAPPIN'

前にもEGO-WRAPPIN'は見たことがあるけど、いつ見ても新鮮に思うのはエロいな〜。

滅茶苦茶格好いいし、デビュー以来チャットモンチーを長く知ってる2人が「今日はチャットモンチーが主役なんで、私たちはあっためさせてもらって帰ります」と呟いていたのだが、それでも新曲をぶつけて来る挑戦的な態度にまたエロさを感じた。


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休憩後。

7組目。奥田民生

ステージにフラフラっとやって来るだけなのに様になるおじさん。

 MCでもずっと変な声で喋って「こんなことやってると業界の人に怒られるけど今日はこの声でやります」とユーモア含めてイケてるおっさん。


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8組目。ミキ。

この日芸人枠で圧倒的にウケてたな〜。滅茶苦茶おもしろいもんねー。

漫才はお兄ちゃんの結婚ネタ(僕は初見)だったけど、かなりネタの構成がしっかりしてるのにも関わらず、途中観客も交えてアドリブを加えながら会場盛り上げるのは流石だ。

普段の漫才の舞台とは明らかに異なるフェス独特の(お笑いの人にとっては)やり難いであろうある種、観客が調子に乗ってるムードの中での煽り方まで心得ていて、そりゃ売れるわと思わざるを得ない。


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9組目。チャットモンチーセミ完結)。

武道館みたいな派手な演出もなく、ゆる〜く舞台にやってきて一通りフェスの感想を言った後にFM徳島のジングルの2番を新たに書き下ろした数十秒のチャットモンチーの新曲「きっきょん」が聴けたのは嬉しいサプライズ。

その後はサポートドラマーに「好きな食べ物」「 生まれ変わりたい動物」「その動物になったらどうするか」「転職するなら?」というアンケートをとった紹介文が読まれて1人目のサポートドラマーとしてMCのコヤビン(小籔千豊)がドラムセットに登場。

「風吹けば恋」と「真夜中遊園地」を2曲演奏した後に「ホンマに今日は最低の日ですわ。もうここ(ドラムセット)から2人を見れない。えっちゃんさんのたまにこっち振り向いて『いけてるやん』みたいに眉毛をくっと動かすのとか、あっこちゃんさんのくるぶしとかもう見れへんのやと思うとホンマ最低の日ですわ。あ、お客さんはそのまま盛り上がっていただいていいんです。でもホンマに最低の日やと思います」と言う芸人らしい冗談と赤裸々すぎる嘘のない告白には誰もが共感したのではないか。

 

ドラムセットから記念写真を(職業:モデルとして)撮ったあと、続いてのサポートドラマーとして酔っ払った奥田民生がドラムセットに乗ってスタッフに押されるがまま登場する落語家的な演出はとても良かった。(←舞台袖で登場の仕方をどうするのかでハプニングが起きた結果らしい)

かなり待ち時間にお酒を飲んだらしく酔っ払っていたものの、後輩のチャットモンチーに「民ちゃん」と呼ばせる懐の大きさや、サポートドラマー紹介文アンケートの「好きな食べ物は」に対する奥田の一般的でない回答へのチャットモンチーの下手くそな気配りに「俺が好きなだけだから、そういう変な気配りすんな」とツッコミを入れたのは流石。チャットモンチーの「いい酔い方する人やな」の感想には大共感。

一度奥田民生チャットモンチーの「シャングリラ」と同じドラムキックを悪ノリで始めて「コレはやらないよ」と言った時、少しだけしんみりしたけど、後の一番のサプライズを見たときに民ちゃんのフライング的なドラムキックが「(俺は)やらないよ」という意味に捉えられて、ミュージシャンとしては勿論だが、同時に超優秀なライブ演出家だと思った。

FM徳島のジングルに続き、徳島の地元のCMに流れる地元ゆかりの曲として「阿波のたぬき祭りのCMソング」を披露すると、奥田民生のプロデュース楽曲「コンビニエンスハネムーン」を奥田民生自身のドラムで演奏。

この時プロデュースについて「俺は楽器を貸しただけ」と言ったのも粋だなと感じたし、ドラムセットに「チャットモンチーの」と書かれたステッカーを貼っていたのも嬉しかった。(←本当は「チャットモンチーの民ちゃん」というステッカーを貼りたかったらしい)

コンビニエンスハネムーン」を終えて袖に戻る時も先程同様スタッフの息のあったチームワークで民ちゃんをドラムセットに乗せたままステージ袖に運んでいく過程がとてもユニークで、民ちゃんもハケ終わるまでドラムを叩き続けていたのが素敵だった。

 

次に呼ばれたサポートドラマーはシュノーケルの山田雅人。デビュー曲の「ハナノユメ」でえっちゃんが「一緒に歌って」と呼びかけてくれたので、武道館では泣きすぎてまともに歌えなかったリベンジが叶えられて良かった。

 

その後はBase Ball Bear堀之内大介がスタッフに扮して舞台上にドラムセットを運ぶボケを演出し、サポートドラマー紹介文アンケートでは「なりたい動物なんやと思う?」とあっこからの出題に対してえっちゃんが「ゴリラ」と言ったのは完全に見た目を弄っていて、同期ならではの関係性に沢山笑った。

堀之内のリクエストで演奏されたのは「恋の煙」。小出祐介も「誕生」の配信限定でチャットモンチーと「恋の煙」を歌っていたことだし、どうやらベボベメンバーは「恋の煙」に縁があるのかもしれない。

 

一通りその日出演アーティストのサポートドラマーと演奏し終えると、10年以上前に同期のチャットモンチーとシュノーケルとBase Ball Bearで「若若男女」という対バンツアーで全国を回っていた話になり、久しぶりに当時のバンドが揃ったことから若若男女が一斉にステージに上がった。

当時の思い出話として福岡晃子小出祐介について「一番誰とも話したりしないくせに、ツアーが終わる頃には一番名残惜しそうにしてた」とネタにして、小出は「徳島の田舎からやって来やがったチャットモンチーなんかに負けるかと尖っていたから」と発言して、チャットモンチーから「ここ徳島やから!」と秀逸な訂正が加えられて、小出祐介も慌てつつ「東京から来ました!」と見事な切り返しを見せてくれた。

チャットモンチーの「田舎の人イジメないで!」というやり取りは永遠に聞いていたい微笑ましさがありつつも、小出の「徳島いいところだと思いましたよ。同期の地元だし、こんな国宝級のバンドを生んだ場所ですから」というエールには思わずグッときた。

感動的なことを言いつつも再び小出は「今日のあっこ MC調子いいね。武道館なんにも言わなかったのに」と武道館での MCを弄って、それについて福岡が「だって(武道館で)何も言うことないんやもん!」と話していると普段は何にも MCで喋らずに13年貫いてきたえっちゃんが「もう準備できたみたい」と一番冷静に仕切り直す光景には笑ったし、この楽しげな光景が見れただけでも徳島に来てよかったと満足できたし、それまで拭えなかった喪失感も楽しい思い出へと上書き保存が成功できた。

そして小出祐介が「10年前は余った人は踊ってたんだけど今日は全員で演奏します。これはもう青春の曲と言ってもいいですかね?」と尋ねて、えっちゃんが「いいです」と返答すると若若男女による「今夜はブギーバック」が演奏され、メンバーそれぞれのソロ演奏と橋本絵莉子ひとりの声が披露されてただ楽しい時間が創出された。

時間的に(大切なイベントでも時間を気にしてしまうのは僕の悪い癖なのだが)もうこの盛り上がりで僕のチャットモンチーは終わり(1日目のチケットしかなかった)かと腹を括っていた時、福岡晃子が「ちょっと待って!」と呼び止めて、「こなそんと言ってるのにアレ聴かないで帰れないよね?」と観客を煽ると更に小出祐介が「懐かしい友達来てるから、折角だし呼んでもいい?」と一度ステージにハケると、ステージ袖で泣きながら眺めていた高橋久美子を連れて戻ってきた。

その瞬間の歓喜のどよめきは僕の21年間の人生でも恐らく一番すごい感動が秘められていた。

小出祐介の「久美子、チャットモンチーはやめたけど、若若男女はやめてないよね?」という一声とくみこんの「やめてない!」という力強い言葉はチャットモンチーが完結して数日経った今でも脳内をしつこくあの時の光景とともに反芻される。

観客もえっちゃんも泣いていたけど、それは武道館の時とは明らかに違う類の感動の涙で、小出の「おじさんのドラムキックはもういいから、久美子のドラムキックが聴きたいよ」からの「シャングリラ」のあの優しくて軽やかなくみこんのドラムキックが会場に浸透していく感動を視覚と聴覚を駆使して脳裏に焼きつけた。

最後に高橋久美子のドラムキックと福岡晃子の力強いベースと橋本絵莉子のしなやかな歌声がセンターに集って巨大なモニターに3人だけが映される映像はその時間この世にいたどの3人よりも格好よくて画になる美しさがあった。

 

〈希望の光なんてなくったっていいじゃないか〉

 

個人的な話をするのは苦手で気色悪いけどチャットモンチーはこなそんフェスのその場にいた人たちにとっては確実に希望の光を思わせる存在だったことが一度や二度はあると思うのだが、そんな誰かにとっては希望の光に十分なりえる彼女たちが〈希望の光なんてなくったっていいじゃないか〉というのはチャットモンチーが最後までファンを信頼して突き放す一言で完結するのに相応しい切実な歌詞と演奏が込められていた。

演奏を終えて、それぞれのバンドが挨拶する中最後にあの3人が真ん中に揃って「チャットモンチー!」と紹介される瞬間のアベンジャーズ感は感無量。あんなに心強い女性3人衆はきっとこの先見ることは出来ないだろうと思うだけの凄さが詰まってました。

僕は意気地ナイから1日目のセミ完結を見届けて楽しい思いのまま帰って、このブログやら他のSNSで駄文を書き連ねることしか出来ませんが、本当に偉大な13年間をありがとうございます。

もう野暮な考えは捨て去りましたが、それでもまた武道館で歌ってた通り、長っ〜〜い目で見て応援します。

Forever my Chatmonchy.

 

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俺のドリブルが止められるかな?

千秋楽終えたようなので、感想をつらつら。

 

5月某日。

草月ホールバカリズムライブ「ドラマチック」鑑賞。

今回はライブに加えて土曜日の2回目公演が初のライブビューイングを実施されていたので、厳密には初日公演と4回目公演をライブビューイングで見た。

 

どうしても月並みな言葉になるけど、

バカリズム、天才かよ」!!!

 

流石IPPONグランプリの絶対チャンであり、『架空OL日記』ではギャラクシー賞に加えて脚本家として向田邦子賞を受賞。さらに、性欲のオールナイトニッポンのパーソナリティを務めていたバカリズム

 

毎年毎年どこまで突き抜ければ気が済むんだろ。

幕間のVTR含め全ネタが素晴らしい上に、バカリズムさん的に言うと新しいお笑いの方程式を作り上げてるから語りつくせないのだけど、今回のライブに関してはお笑い通でもなんでもない、ただのバカリズムさんのファンとして気になることがあったライブでした。

 

※以下、オチに触れはしないものの、コントの設定等でネタバレに触れますのでDVDまで情報入れたくない人は読まないでください❗️

 

今回のライブの個人的最大の違和感は、バカリズムさん本人がメインビジュアルのライブのフライヤーでした。

というのも、バカリズムさんは自分のライブのこだわりとして「ダサイと思われたくないから、ライブのフライヤーに自分の顔写真を一切使ったことがない」と話していたことがちゃんと記憶にあったから。

補足すると、バカリズムさん自身が顔をメインビジュアルにしたくないのは「パッケージがダサイと思われると、ライブのDVDを発売した時に売行きがライブの内容と比例しないことがある」からであって、オシャレを追求してるというのではなく、ダサく見えることに関して避けてると言うのが本音なんだと思ってます。

 

しかし今回のライブフライヤーはかつての話とは明らかに矛盾したデザインだったので、正直ツイッターバカリズムさんがこのデザインを発表した時は拍子抜けしました。

 

でもそんな違和感はこのライブを見た直後から消え失せて、今回に関してはこのデザインじゃなきゃいけない理由がわかった気がします。

 

このライブを見ている限りバカリズムさんが一番やりたかったのは、「いかに日常をドラマチック紛いに見せることができるか(もしくは非日常をドラマチックにできないか)」だったように予想してます。

この場合の「日常」は、いわゆる私たちが「朝起きて、ご飯を食べて、歯を磨いて、学校(仕事)に行く」みたいな典型的な誰にでも経験のある「日常」

「非日常」は、コントやドラマの定番シーン(「探偵が犯人を暴く」とか「銀行強盗が入ってくる」etc)みたいなこと。

 

そしてこのライブのオープニングとラストはまさに前者「日常をドラマチックに描く」コントでした。

そしてバカリズムさんは、このコントの「日常」を表現するために、コントで別の誰かの役を演じるのではなく自分自身でバカリズムを演じる方法を選択した点が度肝を抜かれました。

 

以前もライブのオープニングとか番外編のバカリズム案などではコントの中でバカリズムとして立ち振る舞うネタもあったものの、最後のネタで再び自分自身を演じるコントは僕の知る限り初めてだったと思います。(違ったらすいません)

 

設定としては、現在進行形で草月ホールという場所でライブをしている芸人バカリズムが、幕間で舞台裏にハケると、そこで脚本家バカリズムが脳内で作り上げた架空のドラマチックな出来事に巻き込まれるという現実と虚構が入り混じったコントです。

 

ライブで新ネタを披露してるバカリズムと、パラレルワールドのライブ舞台裏のバカリズムが混ざり合ったという言い方が適切かもしれない。

 

ネタの内容に関してはDVDを見てくださいと言うしかないのだけれど、つまり今回のライブはバカリズムさんが自分自身の日常をドラマ(チック)化するコントだった為、ライブのコンセプトをビジュアルで表現する結果として、今回のフライヤーはそれまでの抽象度の高いビジュアルではなく、自分自身の顔写真をメインビジュアルに押し出したのではないか?

というのが、あくまでただのバカリズムファンである僕の予想です。

 

にしても、これまで手がけたドラマで、あくまでドラマチックな要素を排除して極めてリアルな会話を緻密に取り入れた脚本家として評価されてるバカリズムさんが本職のコントで「ドラマチック」をタイトルにして、ドラマチックな非日常を茶化す構造がスタイリッシュの極み。

芸人としてだけじゃなくて脚本家としてのキャリアの功績があって初めて成り立つ壮大なコント。コレを他の芸人がやったら、ライブの意味自体が変わってしまうよなー。

コレはもう、、唸ります。。。

 

ネタとして分かりやすくて且つちゃんと面白い上に、コアなお笑いのファンが共感できるような3本目の『NANDEYANEN』のネタも面白いけど、個人的に今回のネタとしては矢張りラスネタ、それと4本目の『銀行弱盗』が抜きん出て凄かったな〜〜!意表を突かれるというか、そもそもまだ既存のオーソドックスな設定で開拓領域があったんだな〜って痺れた。

 

ちなみにこの『銀行弱盗』に関しては、初日と4回目公演でラストのオチそのものが変わってたことに衝撃を受けたし、ネタに直接関わりはないものの衣装についても徹底して拘ってるのが分かるから語り甲斐がありすぎるのだけど、どうしてもオチに関するネタバレを避けて通れないので、DVD出るまで我慢します。

 

ただ今回初めて2回見て思ったけど、バカリズムさんはライブの中で凄い至近距離で観客とネタで意思疎通を図ってる人なんだなっていうのが分かった気がしてる。

4本目のネタのオチが初日と4回目ではオチのクオリティそのものは変わらないものの、観客の反応(伝わりやすさ)が圧倒的に違ってた。

 

バナナマンがよくバカリズムさんのことをタスマニアデビルって茶化して、「未だにギンギンに尖ってる」って言ってるのは確かに凄い共感できるけど、最近の活動についてオークラさんがバカリズムさんのことを「調整できるようになってきた」て語ってるように、ネタの面白さ(クオリティ)は変えずとも、観客に対して分かりやすさを与えることに敏感なんだなって今回のライブを再見して実感した。

 

バカリズムさんは芸人の中で実力が1人飛び抜けて違うと思うし、事実そうなんだろう。

正直バカリズムさんを始め、バナナマンにしろ東京03にしろ、自分がファンというのも差し引いても、一度彼らのコントを見たら他の人のネタは見れなくなるくらいの濃さが含まれてる。

色んな芸人さんのネタを見て回りたい気持ちもあるけど、最早それだけでは満たされない体に改造されてしまってるから、年に一度の単独ライブに賭けて、しばらく放心状態になるのが心地良い。

芸人を美化するとキモいけど、発想が飛び抜けてる人は問答無用で大好きです。

一生付いてきますと思った。

 

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15年と25年目の東京ひとりぼっち

『15年』 作詞・作曲・歌/日村勇紀

 

それは僕らが夢だけを信じてた頃

とある12月貴方を待っていました

顔も知らない貴方を待っていました

あの日から15年が経ちました

貴方の部屋である夜貴方が言いました

何より慎重な貴方が言いました

若いなりに二人とも覚悟を決めていたわけで

「二人でやらない?」始まりました

始まりました

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負けずにある夜僕も貴方に言いました

「これから俺たちスゴイことになるよ・・・」と

根拠は何もないけど確かに言いました

でも本気でした そう感じたんです

感じたんです

 

もしももしももしも貴方と出会わなかったら

今何をしてますか?

いやきっと恐らく違ったところで

きっと出会ってると思います

そう感じるのです Ah・・・

 

始まったものの特に仕事はなく

やれる事といったらネタ作るくらいで

「ソロライブやろう」貴方が言いました

今年で15回やりましたね やりましたね

 

そうは言ってもお金にはならなく

地道な作業もあまり報われず

周りの芸人がどんどん飛び出していきます

僕はやっぱり焦りました 焦りました

 

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出会って5年の月日が流れたある日

丸ノ内線の中で貴方が言いました

あまりに普通に貴方は言いました

「結婚するわ」驚きました驚きました

式のスピーチで僕は言いました

貴方は覚えていてくれるかな?

結婚しても今まで通り

変わらぬ貴方でいて欲しいのです

そう願うのです Ah・・・

 

ソロライブでの初の全国

車で札幌 下は鹿児島までを

夜の高速 大合唱 スタンドバイミー

10年経ちました またやりたいです やりたいです

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そして貴方に子供ができた

彼女は僕を見ニコッと笑いました

そして僕の指を強く握る

僕は心で約束したのです

ずっと笑ってこうね・・・Ah・・・

 

夫として 男として

親父として 相方として

そして一人のお笑い芸人として

これからもお供するつもりです

そのつもりです

 

ある夜僕は貴方に言いました

「これから俺たち凄いことになるよ」

さてどうです?スゴイことになりましたか?

スゴイことです 今日という日が

今日という日が

 

年をとってジジイになって

変な咳が出ても

二人でネタなんかやれたらいいですね

さらに欲を言わせてもらえば

二人で 笑えてたら尚更ですね

そう願うのです Ah・・・

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10年後。バナナマン25年目。

 

『東京ひとりぼっち〜シタペキ日村さんゴールインおめでとうver〜』 歌/設楽統

 

「えーこの度は日村勇紀 結婚おめでとう」

体はボロボロおデブちゃん

何でも忘れるズボラちゃん

外見も中身もダメ人間

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そんな日村がそんな日村が結婚した

そんな日村が可愛いあの子とチュッチュチューチュチュッチュチューチュー

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えー実は私も先日お相手のあの子とお会いしたんです

結婚の報告受けて一緒に飯食った

会ってみたら意外といい人だった

だけど一つだけど一つ 気になった

あの子が日村をソウルと呼んだ

えーそうなんです。何故か日村のことをソウルと呼んでいたんです

 

「ねーソウルお醤油とって」

「ねーソウルこれ美味しいね」

「ねーソウル顔が変だよ」

えーこれは一体何なんでしょうか?

何故ソウル何でしょうか?

 

日村のあだ名はヒムケンさ

同級生はバイブと呼んだ

リスナーはたけしやヘチマ バカサーモン

ババア バラマンディ ポル太郎 日村まんじゅう最後の一個

だけどあの子はだけどあの子はソウルと呼んでいた

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えーソウルの理由は聞いてもよくわからなかったんですけど、ま、とにかくこれで日村の呼び方問題が解決いたしました。えー色々な呼び名ありました。でもソウル ソウルで決定したんです

 

包茎でアナルNGが今じゃソウルです

忘れん坊将軍今じゃソウルです

ソウルソウルソウルソウルおめでとう

ソウルソウルソウルチュッチュッチュチュッチュチューチュチュッチュチューチュー

ソウルファックソウルファック

ソウルチュッチュチューチュチュッチュチューチュー

チュッチュチューチュチュッチュチューチュー

鼻 鼻だけで

ブヒ ブヒ フガッフガッフゴッゴッ・・・

ソウル結婚おめでとう!

ソウル!ソウル!フッフー

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日村さんが設楽さんに贈った『15年』から10年。

あまりに普通に赤坂のスタジオで「結婚しました」と言われて驚きました。

 

とんねるずのタカさんが電話で祝福し、ダウンタウンの松本さんからも祝福のコメントが届いてます。

スゴイことになってます。今日という日が。

 

インフルエンザで休んだり、目はレーシック手術。歯のインプラントに500万。鼻の軟骨抜いて、謎の喉のビラビラを除去。おまけにアナルはいぼ痔を抱えてますが、それでもずっとネタ作って笑っていて楽しそうです。

そんな日村さんに願うまでもない気がするけど、結婚しても今まで通り変わらぬ貴方でいて欲しいです。

外見も中身もダメ人間上等。

これからもファックを浴びせると思うけど、笑いで跳ね除けてくれると嬉しいです。

売れっ子になり過ぎてしまったけど、ファンとしてまだ全国ツアーやって欲しい気持ちは変わってないです。

お二方には陰ながらお供するつもりなんでいつまでも待ってます。

 

おじさんなのにお互いに歌を贈り合うコンビ聞いたことありません。

滅茶滅茶笑ったあとに涙チョチョ切れました。

 

最後の「これからも努力し、幸せになります」

の一言がとてもらしくて、なんか嬉しかったです。

 

こんな日陰のクソメンのブログなんて見てないと思うけど、結婚おめでとうございます。

これからは好きなだけベランダで救急車のサイレン聞いてください。

ずっと日向の男でいてください。

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日付変わる前に書き終えられてよかった。