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ニセクリペプ曲紹介カルタで1採用

 

「 わ」一文字難しかったけど頑張った甲斐あって無茶苦茶笑って貰えたの嬉しかったー!

実験的に最後の最後の曲名だけでオトすネタだったから、絶対外せない分、書いてて勇気がいるというか、フリの段階の曲説明文でどれだけ聴いてる人に想像させられるかで一番苦労してた。

 

短期決戦が好きだから「わ行」で勝ち上がらせるつもりで投稿してた分、嘘芸能に負けたのは悔しい。

坂口安吾の『白痴』のラストに似た感覚。

負けたハズなのに、終わりに出来ず生き延びてしまったような足元グラグラな精神状態。

 

次回新規カルタの追加がされるらしい。

抽象的なカルタが飽和してる分、久しぶりに観察眼が問われるようなカルタがあると楽しくなりそう。

 

話は変わって三省堂辞書の編集の人たちが選ぶ流行語について

 

「ほぼほぼ」が戦前の国会議事録に記録されて以降、国会の音声、文章の中に出てきた事から最近生まれた言葉で且つ定着しているであろうと考えられる学術的な話題。

 

つい最近、大学のレポートに「ほぼほぼ」を使用した学生がいて驚愕したとの話を教授から聞いた。

話し言葉と書き言葉に関する問題だと思うけど、聞いている分には阿保な大学生がいるな程度にしか捉えていなかった。

然し国会議事録に文章として残っているという事実があるとすれば、今後非常に興味深い問題に関わってくるような気がする。

伊集院さんが多用する「スーンとなる」が「シーン」でも「シュン」でもない丁度中間の曖昧なニュアンスと説明してたけど、例えば「カッコイイ」が論文に使える言葉かどうかという問題。

「カッコイイ」は日常的に使う話し言葉だけど、文章にする場合どうしても「カッコイイ」以外の言葉では当てはまらないというかニュアンスが伝わらないにも関わらず記録する言葉としては、時代によって「カッコイイ」の定義が変わってしまうから明らかに不適切。

「ほぼほぼ」は「カッコイイ」よりも恐らく更に新しい言葉で、どういったニュアンスであるかという問題を孕んでることは時代の流行語に選ばれる理由として相応しいのかもしれないなと思った。

 

久米さんのラジオに伊集院さんがゲスト出演するらしい。楽しみ〜〜